人間椅子 和嶋慎治 × THE STARBEMS 越川和磨 対談


TEXT:荒金良介
 

■2人を繋ぐ赤い糸?!

和嶋 (テーブルにメモをおく)

――何ですか、この紙は?

和嶋 いや、スターベムズの新譜の感想を書いて・・・。

越川 えっ、ものすごく緊張するじゃないですか(笑)。

和嶋 ツッコまれたらまずいと思って。あれでしたよ、パンクっぽいけれど、メロディを大事にしてるグループだなと。

越川 すいません、ありがとうございます!

――和嶋さん、インタビュアー並みの準備ですね。その辺も追って話を聞きたいんですが、今日は同じレーベル・メイトとして集まってもらっただけではなく、昔は同じ高円寺に住み、しかも同じバイト仲間でもあったという、お二人の男同士の「赤い糸」について根掘り葉掘り話を聞きたいと思ってます。

越川 ははははは。

和嶋 実はその赤い糸は3つぐらいあるんですよ。

――そうなんですか!

越川 僕は中学、高校の頃に人間椅子さんに出会って、ちょっと周りと聴く音楽も違ったんですよ。いつも行く楽器屋さんで流れてて、「これ誰ですか?」と聞いたら、「日本の宝、人間椅子だよ」と店員さんに教えてもらいました。それから好きで聴き始めたんですよ。僕、和嶋さんより先に鈴木さんに会ってるというか、目撃してるんですよ。高円寺に出て来た時に、純情通り商店街を入ってすぐの左手にあるラーメン太陽の前にサンコーというパチンコ屋があって、そこでバ イトしてたんですよ。そこで働いていたお姉さんが「人間椅子の人が来てるよ」と教えてくれて。で、見に行ったら、当時まだ長髪だった鈴木さんが据わった目でずっと打ってたんですよ(笑)。

――それはほんとにプライベートですね。

和嶋 あの頃は多分、鈴木君は毎日パチンコに行ってましたよ。

――話しかけたりしなかったんですか?

越川 全然。僕は店員だったし、鈴木さんはお客だし・・・ただ、鈴木さんのハコの交換はやってました。

和嶋 それは言っておきます(笑)。

■バイト仲間として…

――まずお二人が同じバイト先で働いていたのはいつ頃ですか?

越川 バンドをやってると休みが取れないので、バイト先をどんどん首になるんですよ。で、日雇いのバイトをしようと思い、本の仕分けの仕事を見つけて。

和嶋 そうだね。各地方に製本された本を仕分けして、それをトラックに積むんだけど。

越川 ベルトコンベアーで流れてくる本を地域ごとに分けるバイトですね。で、2、3回バイトに行った後、その中にモーターヘッドっぽいTシャツを着てる人がいるなと。

――ははははは。

越川 あらっ、よく見た顔の人がおられる。その人がモーターヘッドのTシャツ・・・ほぼ間違いないなと(笑)。でもまさか昔から知ってるバンドマンの人がいるわけないと思ったし、それに緊張して話しかけることもできなくて。

和嶋 そういう雰囲気でもなかったんだよね。

越川 そうっすね、黙々とやる感じで。チャイムがなったら、タバコを吸いに外に行くみたいな。

和嶋 今や肉体労働者の三題噺はパチンコ、ゲーム、アニメなわけで・・・。

越川 大体そういうワードで構成されて、バンドマンは隅っこにいるんですよ。和嶋さんも一人でタバコを吸って、そのバイトに実は志磨遼平(元・毛皮のマリーズ/ドレスコーズ)と一緒に行ってたんですよ。

和嶋 志磨君は途中から来たんだよね?

越川 そうです。いいバイトあるぞって。で、2人で「絶対そうだよねえ」と言ってたんですよ(笑)。

和嶋 僕はそこにもう1年以上いて、ベテランになりかけてたんですよ。短期と長期があって、僕は長期で入ったものだから。夏や年末は繁忙期で、そこで彼が入って、あっ意識してるな、何となくバレたな!と思って。

越川 ははははは。

和嶋 いや、バレてもいいんだけど、職場がそういう雰囲気だから、バンドマンは肩身が狭くて。CDを出してることも言いたくない雰囲気でね。僕も話しかけられずにいて、でもバンドやってるぽいしなって。で、数日後に志磨君が来た時に、これは完全に同じバンドだ!って気付いた(笑)。志磨君はヴォーカル、越川君はギターだなって、話さなくても雰囲気でわかったんだけど。どうしようかと思 ってるうちに、一週間が過ぎて・・・。

越川 一週間ぐらいでツアーに行くお金が溜まったので、もう行かなくなったんですよ。

和嶋 悪い気はしたんだよ。多分、彼ら2人は僕のことを知ってるし、ロックの話をしたいんだろうなと。よし明日こそ話しかけようと思ってるうちにいなくなっちゃって。当時は毛皮のマリーズだとわからなかったの。

――いつわかったんですか?

和島 これが2つ目の赤い糸・・・赤い糸と言っていいのかな(笑)。

越川 はははは。その頃は夜のお店でボーイもやってて、そこに来ていた姉さんが実は和嶋さんと繋がってたんですよ。

和嶋 バンドが好きな人で、僕はライヴハウスで知り合ったんだけど。すごくお酒が好きな人で、やたら飲み会にも来る人で、その人から毛皮のマリーズというバンドで頑張ってる人がそのお店でボーイしていることを教えてもらって。

越川 そのお姉さんに「僕、人間椅子好きなんで、前のバイトでも和嶋さんと一緒だったんですけど、話しかけられなくて」みたいなことを言ったんですよ。そしたら、そのお姉さんが和嶋さんに電話を一本入れてくれて。

和嶋 姉さんを通して、みんなで飲もうという話になったけど、毛皮のマリーズがどんどん忙しくなって、機会が持てなかった。

越川 メジャーに行くか行かないかの微妙なタイミングで、忙しくなって。

和嶋 ベースの子とは飲んだけどね。(笑)

越川 ヒロティ(栗本ヒロコ/毛皮のマリーズ)ですか? なるほど、先に行かれていたわけですね(笑)。実際、その後に会うことになるんですけど、青森で『夏の魔物』というフェスに呼ばれて、たまたま止まったパーキング・エリアで会ったんですよ。向こうから和嶋さんが歩いてきて・・・。

和嶋 やっと挨拶できました。バイトから3、4年後に邂逅して(笑)。

――そこで話ができたわけですね。

和嶋 ちょうど毛皮のマリーズが勢いがある時期で、心の中では応援してたんですよ。

越川 ありがとうございます!

和嶋 あの仕事は日払いだし、そこからいかに出るのか・・・一緒に同じ下積み経験をしてますからね。

越川 僕もシャイだし、ドカドカ踏み込んで話しかける性格でもないので、機会をずっと待ってました。僕の中では神聖な存在なので。

和嶋 いえいえいえ・・・。

越川 和嶋さんのことも高円寺で何度も見かけてたんですよ。

和嶋 あっ、そうですか!

越川 高円寺の坂をリュック背負いながら歩いてるところを見ました(笑)。

■高円寺はロックな街というイメージはあったんですよね

●お互いに高円寺に住んでいたのも共通点なんですよね?

和嶋 そう、3つ目の赤い糸はそれですね。

越川 ずっと杉並区にいたけど・・・高円寺にいるとダメになるんですよね(笑)。

和嶋 はははは。高円寺に住んでいたのはいつからいつまで?

越川 結構いましたね。こっちに出て来てすぐ四畳半風呂なしで、ヴォーカル(志磨)と一緒に住んでました。

――志磨さんと一緒に?

越川 はい、お金がなかったんで僕が居候してました。その後も3、4年ぐらい住んで、2年くらい江古田で共同生活したんですよ。で、また高円寺に戻って3、4年住んで・・・それで毛皮のマリーズが終わって、このままじゃずるずる引っ張られるなと思い、高円寺から少しでも離れようと。それで中野区に引っ越したんですよ。

和嶋 僕も上京していろんなところに行ったけど、高円寺が一番長い。通算20年ぐらい住んでたかな。その中でも引っ越してるんだけどね。

――20年って長いですねえ。

和嶋 うん、バンドをやってる友達も多いし、家賃や生活費も安く済むから便利なんですよ。僕が高円寺を出たのは1年以上前かな。

――わりと最近なんですね。

越川 やっぱり20年前と今の高円寺ではいろんなものが全然違いますよね?

和嶋 そうだねえ。

越川 僕は18歳の頃に出てきたから、今から15年ぐらい前ですかね。

――それでも結構昔じゃないですか。

越川 あっ、そうですね(笑)。

和嶋 昔は古着屋とか洋服屋さんもなかったからね。もっとアナーキーでしたよ。

越川 バンドマンも多かったですよね?俺が来たときはベルボトムを履いてる人もたくさんいたし。

和嶋 髪を染めてる人もたくさんいたしね。僕はなぜ高円寺から出たかというと、安いところにずっと住んでて、練習する時も部屋でやると近所迷惑になるから、公園で練習や作曲もしてたの。リフを弾くにも毎回公園に行ってると、そこで流れが寸断されるんだよね。さすがにこれは限界だなと。部屋で存分に楽器を弾ける環境を作らないと、先に進めないなと思って。

越川 はははは、そこまでに20年かかりましたね。

和嶋 みうらじゅんさんが言ってたんだけど、高円寺を出ないと、売れないというジンクスがあるみたい。そんなことないだろうと思っていたけど、やっぱり出たら急に忙しくなりましたよ。音楽以外の知人も増えたし、広がりが出たんだよね。

越川 風水的なものがあるんですかね?

和嶋 うん・・・いや、高円寺に住んでる人には申し訳ないけど、すごく居心地が良くて、いい街なんだけどね。ただ、夢を持ってる人が高円寺に住むと、居心地良すぎて、夢を持ったままそこにい続けることになるから。夢が現実化できないんだよね。

越川 高円寺には似たような人が多くて、自分と似たような人も集まるんですよ。その中でぬるま湯というか、傷の舐め合いをする感じになって・・・僕も高円寺を出るまで15年ぐらいかかってますけどね。

――ははははは。

越川 昔からそういう街なんですよね。日本のインドとも言われますけど、バンドマン、演劇、お笑いをやってる人たちが集まるから。

和嶋 元から住んでる人は変わらないけど、外から来る人がそういう空気を醸し出してるんじゃないかな。今住んでるところは、周りもみんな各界のプロなんだよ。高円寺はプロになり切れてない人が多いのかなと。

越川高円寺は何でもありですからね。

和嶋まっ、いいかなってなるしね(笑)。

――最初はお二人とも高円寺幻想みたいなものはありました?

越川 憧れというか、先人たちがそういう文化を作って・・・昔は村八分がいたり、高円寺はロックな街というイメージはあったんですよね。

和嶋 ありましたね。世田谷区はまず住めないし、金がなかったとしても江戸川区じゃないし、やっぱり中央線なんだよね。

越川 わかります。ライヴハウスもいっぱいありますからね、高円寺2万ボルトやJIROKICHIとか、ブルースやソウルも僕は好きだったので、出てくる前はそういう街なのかな、というイメージで。当時U.F.O.CLUBができた頃で、サイケな人たちも多くて、そういう文化も好きだったんですよね。

――いろんな刺激をもらえました?

越川 そうですね。

和嶋 U.F.O.CLUBは毛皮のマリーズ初期の頃からやってたの?

越川 結構出てましたね。バンドのカラー的にも合ってたし、バンドマンにも優しくて。僕ら渋谷屋根裏のブッキングで3、4万とか払ってやってましたけど、そんなにノルマも高くなくて。アンダーグラウンドで安いところがあるなら、そこでいいだろって。

和嶋 毛皮のマリーズが武道館でやる直前ぐらいに共通の知人を介して、U.F.O.CLUBに招待で観に行ったんよ。その頃は高円寺に住んでて、ウチからすげえU.F.O.CLUBが近かったのよ。あの頃マリーズは売れていたから、周りにもいろんな人がいて、また挨拶できないのかよって(笑)。

――ライヴの印象は覚えてます?

和嶋 覚えてますよ。ちゃんとルーツを大事にして、アングラの精神を忘れないためにここでやってるんだなって。

越川 今そう言われると、懐かしいですねえ。

和嶋 あの頃は高円寺から出てたの?

越川 まだギリギリいた頃じゃないですかね。

――人間椅子も高円寺でよくライヴをやってたんですよね?

和嶋 うん、全員高円寺に住んでいた時があったから。ノブ君(ナカジマ)は地元が高円寺だしね。

越川 ああ?、ノブさんは高円寺のココイチで、僕の後ろでカレー食べてましたよ(笑)。

――高円寺のライヴハウスの思い出は?

和嶋 ShowBoatというライヴハウスに良くしてもらって、ファンクラブのイベントもそこで毎年やってましたね。でもそのイベントもお客さんが多くなって、入り切れなくなったんですけど。

越川 僕も高円寺のライヴは一度観に行ったんですよ。

和嶋 200人ぐらい入ったワンマンの時かな。

越川 あと、千葉LOOKにも行ってます。

和嶋 ああ?(笑)。

越川 僕、地元が和歌山なんですよ。

和嶋 あっ、そう? 和歌山は旅行でしか行ったがことない。熊野古道とか、あの辺は行きました。

越川 世界遺産ですよね。

和嶋 僕らそこまで地方は満遍なく回れてなくて、6大都市なんですよね。

越川 僕みたいなキッズが待ってるかもしれないんで、和歌山もよろしくお願い します!

和嶋 行けるぐらい頑張ります。バンドが大きくなれば行けるけど、あるいは、 なりふり構わず回るとかね。僕らの立ち位置はちょうどその中間だから。

――話を戻しますが、お二人にとって高円寺は青春を謳歌した場所と言えます?

越川 そう言っていいでしょうねぇ。

和嶋 いつ行ってもどこか飲み屋は開いてるし・・・僕なんて安アパートに住んでる時に変死体と遭遇しましたからね。

――えっ、変死体ですか?!

和嶋 はい。夏の暑い時にちょうど短いツアーがあって、ツアーに出る前から部屋が臭かったんですよ。部屋を散らかしていたから、きっと何かが腐ってるんだろうなって。でもゴミというより、タンパク質っぽい臭いだなと。おそらくネズミが1、2匹死んでいるんだろうなと思って、ツアーから帰って来たら、臭いが凄いことになってて。これネズミ10匹以上は死んでるなと。あまりに腐敗臭が凄くて、眠れない日もあったくらいで。
ある日ウチのアパートの前にテープが貼ら れてて、階段を下りたら警官が寄って来て、僕は二階に住んでいたんだけど、一階から変死体が出たという。

越川 うわ?。

和嶋 それは老人の孤独死で発見されないまま、2、3カ月放置されていたという。

越川 高円寺はそういう事件ありますよね。僕は大和町にいたんですけど。

和嶋 大和町はダークですよ!

越川 いろんな国籍の人がいて、何人かバラバラにされた事件があって、それを野次馬で見に行きましたもん。あと、最初お風呂がなかったんで、コイン・シャワーに行ってたんですよ。僕の隣が黒人で、その隣が中国人みたいな。それは和歌山に暮らしていたら、味わえないだろうなと。

和嶋 いろんなことに対する耐性が付いてきますよ。何とでもなるだろって。

越川 ですよね。音楽好きも多いし、一般の人に見つけられることも多くて。SNSは怖いもので、隣に住んでる人がファンだったこともあったんですよ。下のロビーで「ハッ!」みたいな顔をされたんですよ。僕は「どうも?」と挨拶したら、その女性は無視してバーッと向こうに走り去って。そしたら、当時のマネージャーから「おまえの隣の人がTwitterで呟いてるぞ」と教えられて。

和嶋 隣の人はまずいねえ(笑)。

越川 その人のツイッターを遡って見たら、「今日マンションのロビーで西君(越川)を見た」、「まさか隣なわけないよね」みたいなことを呟いてて、そんなこともありましたね。だから、聴いてた音楽もバレてたのかなって(笑)。

和嶋 ほかのところじゃ顔とか気づかれないんだけど、高円寺に行くと気づかれるんだよ(笑)。

越川 高円寺を出てからは、そういうことがなくなりました。

――気軽に声をかけやすい、庶民的な雰囲気があるんでしょうね。

和嶋 それでまた認知してくれてると思って錯覚しちゃうんだよ。

■ギタリストとしてルーツを語る

――高円寺トークは尽きませんね。この辺で話題を変えたいんですが、お互いパートがギターという点でも共通点があるわけで。

越川 91年に出た『遺言状放送』という人間椅子さんのDVDがあるんですけど。 僕、メタルという文化が大好きで、メタルにもいろんなジャンルがあるじゃないですか。でも人間椅子はモーターヘッドの臭いもするし、日本語だから日本っぽい臭いもするし・・・うまいギタリストはたくさんいるけど、別に面白くないギタリストもたくさんいて。この『遺言状放送』を観た時に、「あっ、これは独特なギターを弾く人だ!」と思って、のめり込むきっかけになったんですよね。みんな最初は歌詞やルックスに惹かれるかもしれないけど、僕はギター・サウンドがズドン!と来たんですよ。日本にこんな人がいるんだって、衝撃を受けました。

和嶋 それはやりたいことが伝わったんだね・・・ありがとうございます!メタ ルでもある種一つのスタイルがあると、それをコピーして終わりになるじゃないですか。そうじゃなくて、楽器はその人を出すべきだなと。結局その人が出ちゃうんだけど、スタイルの上でも何か個性を作りたくて。自分はいろんな影響を受けて、それをミックスさせてるけど、ただ弾くんじゃなく、自分の中で一度咀嚼して出そうと。

越川 DVDを観て、和嶋さんの臭いや味が音から出てますもんね。パーソナルな部 分が音にアウトプットされてる。あと、和嶋さんは自分でエフェクターも作りますもんね? それもギター雑誌で勉強させてもらいました。

――すごくチェックしてますね。

越川 はははは。近年はエフェクティヴな新しい奏法にも挑戦されてますよね?それは音から感じます。初期は裸一貫でバーンと弾いてる感じだけど、新譜はエフェクターを駆使して・・・。

和嶋 初期はほとんど使ってないけど、途中からやっぱり使っちゃった(笑)。 しかも使ってますよー!って、ストレートに出しちゃうから。

越川 そこも凄いなと。ジミー・ペイジもそうなんですよ。近年の映像を観ると、ジミー・ペイジもエフェクターが増えてるんですよ。必要なものはちゃんと取り入れていく。その柔軟さというか、いつまでもギター・キッズなんですよね。

和嶋 常に前進しようという姿勢がジミーペイジにはあるんだよね。

越川 今回の作品を聴いて、自分も精進せねばなと。

和嶋 いえいえ。越川君のギターは結構根底にメタルがあるんだなと思った。毛皮のマリーズではそこまで思わなかったけど。

――今日は改めて越川さんのルーツも聞きたかったんですよね。

越川 もともとセックス・ピストルズとか、パンクから入ったんですよ。でもお姉さんが『BURRN!』世代で、いつも伊藤政則さんのラジオ聴いてるような人で。当時はホワイト・スネイク、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィ、ガンズ&ローゼズ、モトリー・クルーとか全部僕に教えてくれたんですよ。その中で僕は一番メガデスが好きだったんですよ。

和嶋 それはあまり感じなかったけど(笑)、刻みはメタルだなと。

越川 その後にミクスチャーが流行るんですけど、その前の音楽も聴いていたので、ルーツの流れは勉強してますね。行き着くところはローリング・ストーンズ、B.B.キングになるけど、ジューダス・プリーストも大好きだし、ルーツがないと言えば特にないんですよね。ジャンルに関しては、何でもかっこ良ければいいじゃんって。

和嶋 その方がいいんじゃないですかね。一つのジャンルだけ聴くと、そういう音楽しかできなくなるから。

――越川さんはパンクを聴き始めて、すぐにメタルに移行したんですか?

越川 そうですね。激しい音楽という印象で聴き始めて、もっと激しいものは何だろうってなると、メタルになるんですよね。

和嶋 でもソロのアプローチはパンク以降の世代だなと思った。

越川 そうですね。速弾きやテクニカルなことはすぐ諦めちゃったんですよ。

和嶋 一時期そうなったもんね。ギター・ソロはダサい、ソロは弾かない方がクールみたいな風潮があったけど、その流れ以降のギターの弾き方だなと。

越川 ギター・ソロの良さもわかるんですけど、自分はイメージできなかったんですよね。それよりもチョーキング一発でグッと行く方が自分には合ってるなと。

和嶋 それでいいと思いますよ。その人のスタイルだから。あと、ノイズを大事にしてると思った。

越川 ああ~。自分も機材が好きで、ファズ、トーンベンダーにしても、トランジスタ、コンデンサによって出るノイズが違うんですよね。自分にしかわからない世界かもしれないけど、ノイズってすごく音楽的なものだなと。そこはキレイにするより、濁した方がいいなって。

和嶋 むしろ積極的に使ってると思った。僕らの音楽はその辺をわりと整理してスッキリさせるから。ただ入ったノイズは消さないようにするぐらいで、越川君は積極的にノイズを使ってるよね。あの、エフェクターで言うと8曲目かな。

越川 「ダイナソーボーイ」ですね。

和嶋 このアルペジオにファズみたいなものかけてるよね?

越川 あれはトーンベンダーですね。プチプチという音がして。

和嶋 そうそう。そのプチプチ感がなかなかヴィンテージっぽくて。

越川 初期のレプリカを使ってて、ミック・ロンソンが好きで、ミック・ロンソンが使ってたことでお馴染みのやつで。

和嶋 ヴィンテージのエフェクターというか、そういう回路のやつを使っているみたいだから、いいなと思った。

越川 そういうプチプチ感も切なく感じるんですよ。スターベムズみたいな音楽 性に別に必要ないヴィンテージ臭だけど、それを入れられるのは僕だけかなと。 それを入れる面白味もあるのかなって。

和嶋 いいじゃないですか! ちゃんとアンプで録ってるでしょ? ロックはアナログじゃないとダメだよね。

越川 そうですよね。雑誌で和嶋さんのアンプのセッティングを見たんですけど、かなり爆音ですよね。あれだけボリュームを上げると・・・。

和嶋 うるさいよね(笑)? けど、気持ちいいんだよ。

――越川さんとしては毛皮のマリーズ時代より、スターベムズの方が自分の色は出せてます?

越川 好きにはやらせてもらってますね。毛皮のマリーズで信頼されてなかったわけじゃないけど、コンセプトが決まっていたから、それに対してどう忠実に再現するかという役割だった。スターベムズは日高さんのやりたいことを自分の中に一度入れて、それから自分のやりたいことに落とし込んでいく。普通のラウドな音楽をやるなら、ファズやノイズ、いなたいフレーズも必要ないだろうけど、自分がやる以上はそういうものを入れたいなと。

和嶋 それは入れた方がいいよ。

――若いバンドには出せないラウド感が出ますからね。

越川 そうですよね。それが良いのか、悪いのか、客観的にわからないけど、日 高さんも46歳だから、そのヴィンテージの良さもわかってくれますからね。僕も 日高さんもいろんな時代の音楽を選んで聴けるから、縛りはないんですよ。

――話を戻すようですが、メガデスが一番好きな理由はイマイチわかりませんが (笑)。

越川 来日したら全部行ってますからね。

和嶋 細かい刻みやハーモニクスはメタル好きかもと思うけどね。

――スラッシュ四天王の中で、なぜメガデスが好きなんですか?

越川 メガデスは悲しいんですよ。悲しくないですか?

――悲しい、ですか(笑)。

越川 僕、デイヴ・ムステインがとにかく好きなんですよ。あの人すごく寂しい 人ですよ。

――言い切ってます(笑)。

越川 話したこともないけど、あの人は寂しい人です。演奏してる顔も常に悲しいんですよ。何かを常に憎んでる。いつまで経っても、あの人はメタリカを超えられないし。右手がシビれて、やめますとか言ったくせに、一ヶ月後にまたバンドを始めちゃうファニーなところもありますからね。曲は攻撃的でスラッシーだけど、デイヴ・ムステインはどこかしら物憂げで、日本人の僕にはたまらなくて、あの人から演歌を感じますね。

――デイヴ・ムステインに演歌を感じますか!

和嶋 孤独な感じはするよね。友達が少なそうな感じするもん。

越川 ですよね? あの感じが好きです。あと、ザック・ワイルドが好きで、オジーにいた若い頃のザックが好きですね。

――オジー・バンドにザック・ワイルドが加入した第一弾作『NO REST FOR THE WICKED』辺りですね?

越川 そうですそうです。あれこそギタリストだなって。パンタロン履いて足開いて・・・。

――顔を左右に激しく振りながら弾くあの姿はかっこいいですよね。

越川 好きでしたねえ。

和嶋 ところで、スターベムズにギターはもう一人いるよね? あっ、ヴォーカルの人もギターを弾くのか。

越川 いや、そうじゃないんですよ。ベースが今サポート・メンバーで、ほんとは6人いるんですよ。ピン・ヴォーカルで、ギターが3人いるんです。印象的なフレーズは大体僕で、エフェクティヴなシンセっぽいのは白塗りしてる青森出身の彼(後藤)で・・・。

和嶋 シンセっぽいフレーズはあるけど、キーボードはいないもんね。

越川 はい、全部ギターで構成してます。

和嶋 (紙資料見ながら)しかもローカル・サウンド・スタイルなんだ!

――和嶋さん、ローカル・サウンド・スタイル知ってるんですか?

和嶋 何度かライヴも観に行ったよ。

越川 今日も来たがってたんですよ。

和嶋 よろしく言っといて。ローカル・サウンド・スタイルは訛りを直さなかったバンドだからね。

越川 ははははははは。

和嶋 ベースの黒瀧君とは知り合いだったの。で、何度かライヴを観て、「頑張ってよ」と言ってたら、いろいろあったみたいで残念だなと。そうか、このバンド頑張ってください!

越川 あはははは。青森出身の彼(後藤)と渋谷公会堂も行きます!

和嶋 是非是非。気になる人とは何かしら繋がるものなんだね。

越川 レーベルもこの度「徳間ジャパン」さんということで、決まった瞬間に「人間椅子いますよね?」と聞きましたからね(笑)。

和嶋 今度はギターマガジンとかで対談しましょう。

越川 いいですねえ。

和嶋 その時はふんだんにSGの話をしましょう(マニアックなギター話、エフェクターの内部話、アンプの電圧についてずっと話してましたが、全然わからないので割愛!)。

越川 次は一度高円寺で飲むしかないですね。

和嶋 飲みましょう! まあ、(毛皮のマリーズに)先に武道館は越されてしまいましたけど。

越川 いやいやいや(笑)。

■越川、人間椅子を語る…

――人間椅子はこれからじゃないですか!

和嶋 やれることなら目指したいですね。この『遺言状放送』は渋谷公会堂でや ったんですよ。やっとまたここに戻れますからね。

越川 あの、今回のベスト盤にも入ってますけど、「ダイナマイト」という曲が 好きで、これパチンコの歌なんですよね? あと、「神経症I LOVE YOU」が好き なんですよ。

――どこが好きなんですか?

越川 単純にこの曲はロックンロールじゃないですか。

和嶋 ロックンロールで病んだことを歌うという。

越川 ベストの前に新譜『無頼豊饒』も聴いたんですけど、昔よりも声が太くバ ーン!と出るようになりましたよね?

和嶋 なったね。

越川 それにもびっくりして。言い方はあれですけど、老いてなお盛んというか。 タバコもまだ吸われてますよね?

和嶋 吸ってる。20年以上かけて、ようやく歌がうまくなってきた。腹式呼吸で 歌えるようになったからね。初期は腹式って何だろうと思っていたから。

越川 初期の感じも大好きなんですけどね。

和嶋 それはそれでロックだからいいんだよね

越川 お三方はプレイはもちろん、声がすごく出てるなって。

和嶋 僕ら動員がちょっと増えて、それで伝えようという意識が高くなって。た だ演奏するんじゃなく、伝えようという意識でやると、自然と声も出るようにな るんだよね。メンタルがフィジカルに影響を与えるというか。それが伝わって、 またお客さんが増えるんだなと。

越川 それと、「幽霊列車」も好きでしたねえ。

和嶋 お詳しいですね(笑)。

越川 曲自体は暗いんですけど、途中で列車の音が入りますよね?

和嶋 ああ、ガタンゴトンみたいな音をドラムで表してね。

越川 あれもよく思いつくなあって。1曲1曲ストーリーがあって、勝手に自分 の頭の中で曲の世界観をイメージできることが人間椅子の好きなところで。

和嶋 ありがとうございます。やっぱり、ここ2年ぐらいで気づいたんだけど、 いわゆるこういうダークなハードロックは、マイナーコードでガンガン行くべき だなって。

越川 はいはい。

和嶋 パンクはメジャーな感じでやるじゃないですか? スターベムズもメジャ ー感があるし、マイナーなものでもメジャーと混在させてるしね。でもブリティ ッシュ・ハードロックは、マイナーコードじゃないかと。だから、ここ最近は全 部マイナーでやってる。

越川 ブラック・サバスもそうですもんね。

――自分のロック原体験に対して、より素直にやれているんですかね?

和嶋 自分のやりたいことが明確になってきましたね。気分で浮かんだものを曲 にするんじゃなく、ロックはマイナーコードだろって認識した上でやる。その気 持ちが強くなったかな。もちろん最初はインスピレーションだけどね。

――わかりました。最後にお一人ずつ好きなギタリストを挙げるなら?

和嶋 一番最初に好きになったのはジミー・ペイジで、全作品聴き込むほどマニ アじゃないけど、リッチー・ブラックモアよりもジミー・ペイジが好きかな。テ クニックよりも、音を構築する感じが好きですね。あと、いまだにロバート・フ リップは好きですね。あの人は誰も弾かないギターを弾いた人ですからね。

越川 僕は・・・。

――デイヴ・ムステインですか?

越川 それもそうですけど、僕はキース・リチャーズになるんですよね。ギタリ ストだけど、ギタリストじゃないというか、ギタリストの前に人なんですよね。 別に新しいことを生み出した人ではないけど、あの人はあの人でしかないから。 常にキース・リチャーズだなと思うし、僕もそうありたいなと。次点はデイヴ・ ムステインですね。

――なるほど(笑)

和嶋 結局、人になっちゃうんだよね。それは同感です。

越川 うまい人はたくさんいますし・・・。

和嶋 ユーチューブにもうまい人はいるけど、別に面白くはないんだよね。

越川 和嶋さんも作品のたびに新しいことをやってるし、刺激を受けます。

和嶋 いやいやいや・・・お互いに頑張りましょう!

 





 

■プロフィール

●和嶋慎治(人間椅子) 
Vocal&Guitar
昭和40年12月25日生 青森県出身
山羊座 / B型

●越川和磨(THE STARBEMS) 
1981.10.2生 和歌山県出身
元・毛皮のマリーズのギタリスト。
2003年に毛皮のマリーズを結成し、2010年アルバム『毛皮のマリーズ』でメジャーデビュー。
2011年にはAbbey Road Studioでもレコーディングを実現させる。
2011年9月日本武道館にて毛皮のマリーズ解散 翌年5月からヒダカトオル(BAND SET)に参加
また、インディー期は自身のアルバムのレコーディングの経験を生かし、エンジニアとしても時折活動している。
ジャンル、スタイルに捕われず多岐にわたり活動をもくろんでいる。

■ライブ情報

●人間椅子
ワンマンツアー「現世は夢~バンド生活二十五年~」
2015年01月20日 (火) 大阪 umeda AKASO
2015年01月22日 (木) 名古屋 Electric Lady Land
2015年01月24日 (土) 東京 渋谷公会堂
*チケット絶賛発売中!
http://ningen-isu.com/schedule_live/

●THE STAREBEMS
12/27 (土)『年末調整GIG2014』 @名古屋CLUB QUATTRO
12/28(日)『CHIBA LOOK 20+5th ANNIVERSARY後夜祭 炸裂千葉LOOK 2014』
1/18(日)『RAD CREATION presents GRANDLINE 2015 supported by FM AICHI』
名古屋ダイヤモンドホールなど12会場同時開催
1/24(土)『殺害塩化ビニール×暗黒プロレス組織666-TRIPLRSIX-主催ライブイベント<DIE666怪>悪魔の乱交パーティー+絶叫屋敷の宴+2015』 @新宿ANTIKNOCK
2/1(日) F.A.D YOKOHAMA presents『“sympathy”vol.4 』F.A.D YOKOHAMA
act:DRADNATS / ENTH / SECRET 7 LINE / THE STARBEMS
http://www.thestarbems.com/category/live/