トップ >  人間椅子×Mary’s Blood対談 ~前編~

人間椅子×Mary’s Blood対談 ~前編~


6月5日に30周年記念アルバム『新青年』をリリースの人間椅子。そして、6月12日に移籍第2弾、通算5枚目となるフルアルバム『CONFESSiONS』を発表するMary’s Blood。奇しくも同時期に新譜を世に放つこととなった両バンドのベーシスト対談が実現した。人間椅子の鈴木研一とMary’s BloodのRIOは、ともに青森県弘前市出身。同郷ならではの濃いローカル・トークからお互いの新譜の話まで、盛りだくさんの内容となった対談の模様を前編と後編に分けてお届けしたい。

TEXT BY 志村つくね
 

■弘前といえば、ねぷた

――人間椅子とMary’s Blood、ともに新譜が世に出るタイミングでの対談となりました。ぜひこの機会にお互い聞いてみたかったことをぶつけていただければと思います。まず、お二人とも青森県弘前市ご出身ということで。

鈴木研一(以下、鈴木)RIOさんが和嶋(慎治)くんの後輩なんですよ。RIOさんも僕も、地元弘前のねぷたが大好きで。僕は観るのが好きなんですけど、RIOさんは出るのが好きだそうですね。

RIO そうです!

鈴木 鉄道でいったら、撮り鉄か乗り鉄かっていう感じですね。

RIO(笑)

鈴木 去年、RIOさんから「ねぷたに出ます」って連絡が来たから、ずっとねぷたの運行を観てたんですよ。そしたら、一番先頭でRIOさんが提灯を持ってた。

RIO そうなんですよ。提灯を持たせていただいて……なんだか訛りますね(笑)。

鈴木 いや、いいんじゃない? 文字にしたら標準語になってるから。

RIO ねぷたの時期に地元に帰れる時があまりなくて。その時期って、なんやかんやで東京で忙しかったりするんです。

鈴木 その前の年はレコーディング中だったらしいね。

RIO そうなんです。その時もわざわざご連絡をいただいたんですけど、ちょっとレコーディングの時期と重なってしまい……。去年やっと弘前に帰れて、しかも学生の時から出ていた地域のねぷたまつりに「帰ってくるなら、出ればいいじゃん」って声をかけてもらって。ああいうのは、その日のためにずっと練習してきた子どもたちを優先的に出したいものなんですけど、私は元々ねぷたをやってたこともあったから、即戦力みたいな扱いでした(笑)。練習なしで出させていただいたんです。

鈴木 RIOさんは一番目立つ先頭ではあったけど、それまでねぷたをゼロから作ってきた人たちの見せ場を奪わない感じの、良いポジションでしたよ。

RIO ねぷたを作ってる地域の人たちが「提灯はおじさんが持つよりも女の人が持ったほうがいい」みたいに言ってくれて、「マジで? いきなり先頭?」と思ったんです。

鈴木 RIOさんは和嶋くんと同じ町会ですからね。

――――ねぷたは町会によって特色があるらしいですね。

鈴木・RIO ありますね~。

RIO 自衛隊とかすごいですよね。

鈴木 町会の他に、自衛隊、NTT、JRなんかの市の名物企業もねぷたを出すんですよね。企業は金があるから、結構立派なのを出したりするんです。自分の実家の樹木町は金がないから、毎年使い回しみたいな感じ。その町独特の流れがあって、町によってどの絵師さんが描くかも決まってるんですよね。

RIO 鈴木さんはねぷたには出なかったんですか?

鈴木 だって、こんなおっさんが出たってしょうがないよ。

RIO いやいや(笑)。

鈴木 あれはやっぱり若い人の祭だから。祭って、子どもとか若い人が盛り上がるものだと思うんで、僕は観てるほうが楽しいですよ。

RIO やると疲れますしね(笑)。

鈴木 祭の後、飲み会もあるでしょ。なんか、そういうのが苦手なので、ついつい足が遠のくんです。

RIO しかも、飲み始めると、みんななかなか帰らないんですよね。

鈴木 みんな、次の日、仕事があるのにね。ねぷたが終わると、ねぷた小屋に帰って、反省会と称して、お酒を飲むんです。子どもはお菓子をもらって帰る。そのお菓子が欲しいがために、子どもは参加するんですよ。

――――RIOさんも子どもの頃から参加していたんですか?

RIO そうですね。子どもの頃からというか、中学校の思春期は「そういうのは、やらなくていい!」みたいな感じだったんですよ(笑)。本格的に出始めたのは、高校の時からで、高校3年間、毎年出させていただきました。

鈴木 へ~。じゃあ、知らないうちに僕も観てたのかも。

RIO かもしれないです。私、囃子を叩いてました。カラー写真で東奥日報に載ったこともあるんですよ!

鈴木 すごいね。東奥日報っていうのは、津軽地方で一番発行部数の多い新聞。東京でいったら、読売とか朝日ぐらいの、みんな読んでる新聞ですよ。その写真が載ってる新聞、まだ持ってるの?

RIO 多分、家にありますね。

鈴木 それ、絶対、Mary’s Bloodのファンクラブ会報に載せたほうがいいよ。

RIO ホントですか? たげ恥ずかしいんですけど!

鈴木 いや、いいんじゃないですか。「たげ(=かなり)」って読者の皆さんに伝わってるかな? RIOさんの津軽弁は結構キツいほうっすよ。

RIO 鈴木さんも一緒じゃないですか(笑)。

鈴木 いや、違う! 僕と和嶋くんは洗練された津軽弁を喋りますけど、RIOさんの津軽弁は結構土着的なほう(笑)。

――――弘前市内でもそんなに違うものなんですか?

鈴木 やっぱり、街中と山のほうでは、ちょっと違うんですよね。RIOさんの実家は、山の際とまでは言わないけども、比較的、市街地から離れた側の弘前市ですかね。

RIO 最近はマックスバリュとかサンデーもいっぱいあるんで、もう街中みたいなものですよ(笑)。

■高校生RIOのリハ風景

鈴木 RIOさんは、いつからベースを弾いてたんでしたっけ?

RIO 高校3年生から弾いてます。ちょっと遅いんですけど。

鈴木 その頃バンドもやってたんですか?

RIO コピー・バンドをやってました。

鈴木 練習はどこで?

RIO 練習するところが全然なくて、青森市まで行ってました。

鈴木 え~! リハで? これは読者の皆さんに伝わるかどうか。弘前市と青森市って40キロ離れてるんですよ。東京でいうと、高円寺から八王子まで練習しに行くぐらいの距離。電車で行ってたの?

RIO 電車ですね。

鈴木 へ~! バンドのメンバーは弘前の人?

RIO いや、その時は全然周りにバンドをやってる人がいなかったんです。私の高校生の頃はバンドブームとかもなかったから、少数派の寄せ集めみたいな感じで。弘前だけだと、メンバーが集まらないんですよ。だから、青森県全体で探さないとダメでした。弘前市、青森市、六ヶ所村。

鈴木 おっ! すごい!

RIO (笑)

鈴木 それなら、青森市で練習するしかないですね。六ヶ所村っていうのは、南部地方っていって、青森を中心に、西に弘前、東に八戸があるんだけど、東側の三沢の近くが六ヶ所村なんです。

――――当時のメンバーにとって、集まるのに便利だったのが青森市というわけですね。

鈴木 そのメンバーは何人?

RIO 5人ぐらいでしたね。六ヶ所村に住んでる人たちが社会人で、わざわざ車で来てて。今思えば、すごい大変なことをさせてましたね。

鈴木 “みちのく有料道路”で来てたんだ。なんか青春だなぁ。RIOさんは青森でリハを終えると、一人でベースを抱えて、鈍行列車に乗って弘前に帰るんですね。

RIO ですね(笑)。

鈴木 いいですねぇ。しかも、RIOさんの住んでたところって駅から相当距離がある。バスで帰るんですよね?

RIO チャリです。

鈴木 あっ、自転車! なお青春ですよ! 相当時間がかかるよ。

RIO 私、駅前におばあちゃんの家があって、そこにチャリを置いて、青森まで行ってたんです。帰る時は、おばあちゃんのところに寄って、ハンドルを曲げたチャリに乗って実家に……。

鈴木 ハンドルを改造してたの?(笑)

RIO みんな乗ってますよね。

鈴木 いや、そんなことないけど! すごく乗りづらいでしょうね。

RIO あれがカッコよかったんですよ。恥ずかしいですよね。

鈴木 その自転車はまだあるの?

RIO いや、もうないですね。

鈴木 え~、残念。それに乗ってる写真をファンクラブ会報に……。

RIO いや~! それはヤバいです(笑)。

■お互いの芸風

 

鈴木 RIOさんがそういうノリだったっていうのは、Mary’s Bloodのお客さんは知ってるんですか?

RIO 知ってると思いますよ。

鈴木 Mary’s Bloodのライヴを一度観させてもらったけど、「RIOさん、結構ワイルドだったんだな!」と思って。喋ってる時はすごい穏やかな、とろ~んとした感じだけど、ライヴだとお客さんに対するノリがすごいアクティヴだなと思った。自分はそういう感じのができないなぁって。

RIO いやいや、そんなことはないですよ。

鈴木 お客さんに対するアピールがすごく良いなぁと思いましたけどね。バンドの中に4人いて、「どうぞ、どうぞ」って譲ってばっかりだと、やっぱり絵にならないんだよね。「自分が、自分が!」って前に出たほうがハードロックっぽいですよ。

RIO 鈴木さんもすごいですよ。

鈴木 俺の芸風は和嶋くんを盛り上げるものだから。染之助・染太郎みたいに「ギターを弾いております!」って、下からパーッと花吹雪をまくみたいなのが俺の芸風なんです。

RIO (笑)

鈴木 Mary’s Bloodの場合、メンバーそれぞれが「私を見ろ!」みたいなアクションをとるのがカッコいいなと思いましたよ。

RIO 私も芸風としては、メンバーに花吹雪をまいてる感じなんですけどね。

鈴木 そうですか? そんなふうには見えなかったけど、ワイルドでカッコよかったですよ。

RIO ありがとうございます!

■思い出のライヴハウス、弘前Mag-Net

――Mary’s Bloodは、今度のツアーの7月にRIOさんの地元・弘前Mag-Netでライヴをします。この会場は、人間椅子にとってもお馴染みの場所ですよね。

RIO その話をしたかったんです!

鈴木 これはRIOさんが提案したんですか?

RIO いや、違います。さりげなくツアー日程に入ってました。

鈴木 札幌と神戸の間ですね。すっげー距離があるけど(笑)。

RIO (笑)。多分、ウチのスタッフさんの粋な計らいでしょうね。

鈴木 ツアーには他のメンバーの地元も入ってるんですか?

RIO 私以外、みんな関東の子なので。

鈴木 じゃあ、東京近郊でやるのが他のメンバーにとっては本拠地というわけですね。RIOさんはMag-Netでライヴをやったことはありますか?

RIO あります。

鈴木 じゃあ、あのボロッちい感じはわかってますね。楽屋が大変なんだよね。俺は男だからまだいいけど、女の子があそこでやるのは結構キツいよねぇ。会場の上がリハーサル・スタジオなんですよ。そのスタジオを一つ潰して楽屋にしてくれると思う。

RIO そんなことしてくれるんですか!

鈴木 元々、映画館の通路だったところが一応楽屋になってるの。アマチュア・バンドだとそっちだけど、Mary’s Bloodぐらいになれば、リハスタを潰したところが楽屋になる。

RIO マジですか。私が高校生で出た時は通路でしたよ。

鈴木 人間椅子も最初は通路でした。ちょっと売れてきたら、リハスタが楽屋になってた。

RIO それは楽しみですね。

鈴木 こんなこと言っておきながら、通路が楽屋だったらどうしよう(笑)。

RIO それはそれで面白いですけどね。もし、この対談の第2弾があったら、「通路でした」って報告できますね(笑)。

――かつて、その弘前Mag-Netで人間椅子は『人間椅子倶楽部』というローカル番組を収録していたとか?

鈴木 そうなんです。『頽廃芸術展』というアルバムは、そこでレコーディングしたんですよ。ステージにドラムを置いて、通路にギターとベースのブースを作って、洋服を掛けるハンガーラックみたいな鉄パイプをアンプの上に組んで、その上に布団をかぶせて、防音してレコーディングしてたんです。

――究極の手作りレコーディングですね。

鈴木 しかも、その下が歯医者さんで、大きい音を出すと苦情が来るんですよ。歯医者さんの営業が終わったと同時に演奏を始めて、レコーディングしてた(笑)。

RIO すごいなぁ。

鈴木 いろいろな意味で、Mag-Netは大変なんです。

RIO (笑)

鈴木 でも、地元でやると、きっといろんな人が観に来てくれて、楽しいと思いますよ。

RIO そうですね。ちょっと恥ずかしい部分もありつつ、テンションは上がりますね。去年、鈴木さんと一緒にアップルウェーブっていう弘前のコミュニティFMに出させていただいたじゃないですか。その時に弘前Mag-Netの話をして、今年やっとライヴできるので、この話を本当に鈴木さんにしたかったんです。

鈴木 お家の人は観に来るって言ってました?

RIO 言ってましたね~。

鈴木 ライヴ中に目が合ったりすると、すごいやりづらいから、お父さんお母さんのほうを見ないほうがいいですよ! すっげーテンション下がるんで(笑)。友達だったらいいんだけど、自分の親があそこにいるのかと思うとね。だって、自分が最初に弘前でライブをやった時、「おばあちゃんより 研一くんへ」って花輪が届いたもん。感謝はしたけど「これを飾らないとダメなのかな……」って。やっぱり、おばあちゃんぐらいになると、どうも演歌のノリなんだよね。

RIO (笑)
 

■弘前ならではの音楽事情

鈴木 話は変わりますけど、去年Mary’s Bloodのライヴを観に行った時、RIOさんのピックをもらったじゃないですか。あのピック、すごい弾きやすくて。

RIO ホントですか!

鈴木 いや、ベースじゃないんだけど、ギターを弾く時に弾きやすくて。あれで結構、今回の『新青年』の曲を作ったんです。

RIO えー!

鈴木 自分が持ってるピックだと、すぐ減っちゃうんですよ。三角が5円玉ぐらいの丸になっちゃって、使い物にならなくなる。RIOさんのピック、なかなか減らないんですよ。「これはいいわ!」と思って、それで曲を作ってました。

RIO ありがとうございます! 光栄です。Sagoも喜ぶんじゃないかと(笑)。

鈴木 今の自分のピックもSago。和嶋くんもSago。

RIO レコード会社も、出身地も、楽器も一緒。なかなかこういうのはないです。

鈴木 RIOさんは青森市までリハしに行ってたって話だけど、自分らの頃はまだ弘前に3~4軒はスタジオがあったんですよ。もう潰れたんですよね。

RIO 弘前には楽器屋とかCD屋とかもなくなってきましたから。

鈴木 そうですね。だって、自分の親がCDを買いにわざわざ遠いTSUTAYAまで行くって言ってた。大変だよね。やっぱり、自分たちの親ぐらいになれば、ネットで買ったりしないじゃないですか。直接タクシーで駅の向こうまで行って買いに行かないと、CDが手に入らないっていう。お店があるだけ、まだいいけどね。

RIO CDショップの件もメンバーの件もそうですけど、東京に来て、こっちの人たちが当たり前のように喋ってることが自分にとって当たり前じゃなかったりするんです。自分の場合、弘前じゃなくて、青森県全体で探さないとダメだった。東京だったら、何々区みたいな感じでメンバーがすぐに見つかるじゃないですか。それって、なんかすごいですよね。

鈴木 すごいっすよ。メンバーが青森市と弘前市と六ヶ所村って、なかなかこっちの人に伝わらないと思うんだよね。

RIO (笑)

――鈴木さんが中学校の頃には、 “ロック鑑賞会”のような他校の生徒との交流もあったとか。たしか、そこで和嶋さんと出会ったんですよね。

鈴木 はいはい。当時はすごくロックが盛んでしたよ。

――RIOさんの周りにロックが好きな人はいたんですか?

RIO あんまりいなかったですね。私の世代では、青春パンクがすごい流行ってたんですけど、カラオケとか車の中で聴く音楽がみんなEXILEでしたもん。

鈴木 ふ~ん!

RIO そう。みんなEXILEなんです。モテてる男、みんなEXILE聴いてた(笑)。

鈴木 ははははは!

RIO 車高が低くて、ずっとEXILEとかエミネムを聴いてる感じですね。

鈴木 なんか、そこにすごく青森を感じるね。東京だったら、他のパターンもあるんだろうけど、弘前にはそういう人がいっぱいいそうっていうステレオタイプがあるよ。

RIO とりあえず、GEOにかかってる有線で「この曲、なんだべ?」みたいな感じが多かったです。大変だったもんなぁ。

鈴木 そうか。GEOで新曲を知るっていうのも、なかなか田舎な感じで、東京の人にはわからない苦労ですよね。

RIO そうですね。だって、楽器をやりたくても、まず楽器屋がないから、どうしたらいいのかわからなかったんです。

鈴木 よく買いましたね。結局、ベースはどこで手に入れたんですか?

RIO 通販で……。

鈴木 通販で買ったの!(笑) それはちょっと驚きですよ。

RIO その時、唯一生き残ってたビートルーズっていう楽器屋があって。とりあえず楽器も何もわからない状態でそこに行ったら、たまたまカタログがありまして、相談させていただいて購入しました。ラーメン屋でバイトして買ったんです。

鈴木 このビートルーズっていう店は「楽器屋なの?」っていうぐらいボロいところで、名前もふざけてるんだけどね(笑)。自分の四中の後輩なんですよ。俺、ちっちゃい頃、空手道場に通ってたんだけど、その道場の後輩。弘前は狭いってことなんだよね。みんな、どこかで接点がある。

RIO そこでベースを注文してもらったんです。

鈴木 でも、彼は信用できる男ですよ。楽器のわからない高校生のために、ちゃんと良いのを選んだと思います。コスパも考えて、払える金額で一番良いものをね。

RIO たげ懐かしいですね!

~後編に続く~

 
●人間椅子 →徳間アーティストページ 
30周年記念アルバム「新青年」発売中 (21枚目オリジナルアルバム)
Ningen Isu /  Heartless Scat(人間椅子 / 無情のスキャット)



●Mary's Blood →徳間アーティストページ
ニューアルバム「CONFESSiONS」6/12(水)発売